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  • 執筆者の写真Govinda's Bhajan Band いくえ

バクティのうた2 ヤムナの解説

更新日:2021年5月2日

バクティのうた2 ヤムナの解説




1。。チャンテイング(名前を呼ぶ)

ハレークリシュナマハーマントラを唱える前に、必ず唱えるマントラのことをプラナームマントラと言います。

これは、このキルタンを世界中に広めてくれたみんなのグルである、A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダを讃えるマントラです。


nama om visnu-padaya krsna presthaya bhu-tare srimate bhaktivedanta-svamin iti namine

namas te sarasvate deve gaura-vani-pracarine nirvisesa sunyavadi-pascatya-desa-tarine


続いて約500年前に、インドの特権階級にしか明かされていなかったマハーマントラを、分け隔てなく配ってくださった主チャイタンニャに祈ります。これをパンチャタットヴァ・マハーマントラと言います。


(jaya)sri-krsna-caitanya prabhu nityananda

sri advaita gadadhara srivasadi-gaura-bhakta-vrnda



まず、みんなでグルにお祈りを捧げましょう!


神に祈るなんて、遠すぎて無理!(実際に私もそうでした。)という人は、このマハーマントラを、69歳という高齢で、インドからアメリカに単独で渡り、私たちに届けてくださったシュリーラ・プラブパーダにありがとうございます!という気持ちで唱えてみれば良いかも?

または、もっと身近じゃないと無理!という人は、すぐ隣にいる誰かに感謝の気持ちありがとう!はどうかしら?

そうして、毎日毎日このマハーマントラを唱えていたら、遠くにいる神様が、いつの間にかあなたの隣に座ってくれるようになりますよ。



このキルタンは、ハレー・クリシュナ・ラーマの三語でなりたっています。

これは実際にはマントラではなくナーマ(神の名)だけでできている音です。


ハレーは苦しみを取り去る方、クリシュナは全てを魅了する方、ラーマは喜びの源、という意味の神の名前です。


実際マントラを唱えるには沢山の決まりがあって、私たちが今の時代にその決まりを全部クリアして唱えることはとても難しいことです。


しかし、これは正しくはナーマサンキルタンと言います。音だけを使って、至高主の名を唱えます。代償は何もありません。あなたの声だけを使えば良いのです。決まりは何もありません。

声が出せない方は、そのバイブレーションだけで良いのです。

あなたが、誰か大切な人の名前を呼ぶときは、どう呼びますか?


その人に愛を込めて言葉をかけますよね。それだけが条件です。


用意はいいですか?


この方法が最も強力です。




そうすると、じわじわと次のものが現れます。

名前、姿、性質、ストーリー、味わい

ナーマ、ルーパ、グナ、リーラ、ラサ

です。



私がこのCDに入れた曲は、日本語の歌詞をつけたバジャンです。

バジャンとは歌詞のある祈りの曲です。

少し、歌詞の説明も加えておきたいと思います。


バクティの道は、とても易しい。

そして、同時にとても難しい道でもあります。


だから、始めたばかりの人も、もう完全に神の愛に目覚めた人も同じことをします。何を?


それは、神の名前を呼ぶことです。



初心者は、あなたに会えるように会いたい会いたい、って願って呼びます。そうでしょ!?


でもね、神の愛を深く深く味わってる人ほど、会えない切なさが、もっともっと会いたい切なさに変わるので、会えないからこそ名前を呼ぶのだそうです。


これを惜別感(セパレーション)といいます。




シュリーラ・プラプラブパーダは、ビートルズのメンバーのジョージ=ハリソンに、「クリシュナとの惜別感を歌にしたらいいよ。みんなそれを求めている。」とアドヴァイスしました。

それでできた曲が、かの『マイ・スイート・ロード』My Sweet Lord です。

素晴らしい曲です。聴いてみて下さい。




なので、最初は名前を呼ぶのは会えるからという理由。

最後は名前を呼ぶのは、会えないという理由からなのです。そして、この段階は最終段階なので、私たちは理解しなくても良いそうです。いや、理解できないでしょう。


わー、一曲目で長くなったー。

飛ばしていきましょう。




2。。SAKURA×KUSATSU

2年前マドゥと一緒に草津温泉に行ったときにできた曲です。日本歌曲のさくらさくらのメロディーを思い出しながらできた、桜の花びらの舞うキルタンです。

メロがどんどん変わっていくので、大勢の人でリードを変えながらやるのも面白いです。

この曲と、8曲目のマハーマントラには、尊敬すべき、愛すべき大先輩マハートマ・プラブーに参加してもらえました。この曲はムリダンガ(インドの打楽器、踊りながら叩けるタブラを合わせたようなものです。)で参加してもらいました。コーラスでも彼の声が聞けると思います。



3。。ダース・ダース・アヌダース(ブラフマサンヒター)


アイデンティティーという言葉があります。

意味知ってます?ググればすぐわかるけど、心理学の用語で自己同一性といわれます。

自分は何者なのか?ということ。


まあ、自分は何のために生まれてきたとか。

一生悩んで終わるというのが、この人生かな!あは!


私のおすすめは、早いとこ私たちはダースであるということに、降参したほうがいいよ、ということ。

このちっこい頭で、自分は何者かなんて考えても所詮わかるわけないです。

だって、私は私のこと自分で作ったわけじゃないから。

私は誰かに作られた存在だから、、、自分でわかりっこない。



私たちは、皆ダースです。

ダースつまり、僕、召使い、または全体を構成する一部分。

それも、小さな、小さな、ごく小さな一部分です。

だけど、全体を支える一部分。それがないと、この世界は成り立たない。

全体を支える大事な役目を負っているもの。


全体に仕える、という関係で奉仕している。


こう考えられたとき、ああ!本当にこのことを知って良かった、と思いました。

もう、頑張らなくていいんだ。

とてもシンプル。ラクになった。そしてとても自由になれました。


何か、自分一人で頑張らなければいけない、という強迫的な思い込みが外れたし。

自分で自分は何者なのか自分を探さなくてもいいというか・・。

一人で宇宙に浮いている恐怖みたいなのがなくなって、繋がったって感じでしょうか。

もともと、全体の一部なのだからね。




この曲は私がバクティヨガを始めた最初の年の1990年ごろ、今から30年前に書いた曲です。

歌詞は私が書きました。曲は、ケシャバさん(鶴田雅規さん)がつけてくれました。

今思えば、最初からシンガーソングライター的なことしてたわけね、私。



子供の頃から、シンガーソングライターになるのが夢だったのです。

中学の頃からギター弾いて詩を書いてたな。

このアルバムの最後の曲のアチンチャには、私が14歳の時に書いた詩を使っています。

及ばずながら、57歳にしてその夢が叶ったわけです。


クリシュナは本当に色々なことを叶えてくれます。


というか、過去が全てつながり、一つも無駄なことがなかったな〜とよく思います。


使命とか、才能とか、夢とか、そんな大仰な言葉ではなく、

つまり使命も才能も夢も関係ないということです。


本当に本当に、ただ自分の人生をしかと歩むことだけがホントの幸せなのだと思います。

どんな人生でも良いのです。

ただ、それを一瞬一瞬、クリシュナに捧げていくこと。

クリシュナと一緒に歩むこと、それだけです。


クリシュナに捧げるということは、一瞬一瞬を意識的に選んでいかないとできないから、面白いのです。なぜなら、私はすぐそのことを忘れるから。

だからいいんです、無意識に入るとすぐ忘れちゃうから。


忘れたら、間違えたらちゃんとやり直せばいいし。

小さくていいんです。小さいからこそいいんです。小さいからこそ忘れるんです。

そのために名前を呼ぶんです。

何度も何度も。

何度も同じことしているようだけど、毎回違うんです。毎回が新しいときなのです。

自分で選ぶというチャレンジの瞬間です。

これがキルタンの効用です。私がキルタンをする理由です。

キルタンをすると私が小さいことを、実感できるからです。



もひとつ、おまけにキルタンの効用をお知らせしましょ。



それは、瞬時選ぶ、と同時に瞬時”捨ててく”ことです。


瞬時選ぶためには、瞬時捨てることが不可欠です。捨てれば選べるとも言えます。

いいことも、悪いことも。

そうすると、良い思いに執着することがアホな時間に見えてきます。

潔い生き方に変化します。気持ちよか!です。(この後すぐ、気持ちわる!!が来ますが。)

それも捨てます。


そして、捨てていくことで、なんといつも最善のものが為されるのです。

捨てていくことで、クリシュナに委ねるスペースが現れるので、クリシュナに働いてもらうことができるからです。


クリシュナに働いてもらう、というのは自分の人生の責任を全て依存するわけではありません。私たちの仕事は、クリシュナに働いてくださる、スペースを明け渡すことです。

私たちのスペースは、小さな我でいっぱいになっているので。あは!

これは、永遠に毎瞬間私たちに与えられた選択であり、言い換えれば愛と呼べるものだと思います。


小さければ、小さいほど、捨てるのがラクチンです。

そして、容量が小さいので、いつもすぐに喜びがいっぱいになってしまいます!!


とても単純な理由ですみません。でもホントです。かなりアホです。





4。。グリの献身奉仕


この曲はほんとに賜物曲。ある日、ふっと降りてきた曲です。

なんで?

わからん。もうすでにあったものが私の手のひらに落ちてきた感じです。


うちには猫が三匹いて、その三にゃんとも同じときに来た子です。2015年に拾われてきました。

グリとグラとテオです。

グリという音が一番ピッタリきたんです。で、グリの献身奉仕。



5。。サバイプンサ(SB1−2−6)


シュリーマド・ヴァーガヴァタムという経典があります。

素晴らしい本です。

ぜひお家に置いて欲しい全ての知識が余すことなく載っている経典です。


そのシュリーマド・ヴァーガヴァタムの最も大切な中心にある節のひとつが

この第1巻第2章第6節です。

単語の意味は、歌詞カードに載せていますので、そちらを参照してください。


歌詞カード持ってない人はCD買ってくださいね。



ここでは、重要な言葉、アドクシャジャと、アハイトキーについて少し説明を付け加えます。


どちらも頭に、アがついています。サンスクリットで頭にアがついている場合は否定の意味になります。

アドクシャジャは、想像することができない、とか人智を越えたという意味です。要するに、私たちのちっこい頭では想像できない超越的な存在という意味です。


それを、日本語の中に探したとき、これだ!とピンときたのが

かーごめかごめの歌詞でした。


夜明けの晩に、鶴と亀が滑った、後ろの正面だあれ?


全てのセンテンスが不条理、矛盾してつながらない言葉で構成されています。


これこそ、私たちの感覚では捉え難い、ということを言い表した日本語だと思い、使わせていただきました。


そして、アハイトキー。これは後述する『おばあちゃんのブルース』で詳しくお伝えしたいと思っています。


私の人生の課題、モットーとする言葉であります。

ハイトキーは下心のあるという意味。

アハイトキーは下心のない、動機のないという意味のサンスクリット語です。






6。。ブラザーサン シスタームーン

キリスト教の偉大な聖者である、アッシジの聖フランシスの物語.。1972年作品の映画『ブラザーサンシスタームーン』の主題歌です。この主演の俳優は、この映画撮影の後、実際に聖職者になったそうです。是非ご覧になっていただきたい映画です。

何人かの人が日本語に訳されていますが、オリジナルはドノヴァンさんの作詞作曲です。私の日本語の歌詞はバクティの観点から、バガヴァッドギーターの7章8・9節の節を引用しています。

まず、私たちの目には見えない神の姿を察知するために、この世界にたくさんの形で現れる神の姿を解説してくれている節です。


BG7−8

クンティーの子よ

私は水の味であり、太陽と月の光である

そしてヴェーダのマントラにおけるオームの音節であり

空間の響き、人間が持つ能力である

BG7−9

私は

大地本来の香りであり

火の熱であり

生きとし生けるものの命であり

あらゆる苦行者の行う苦行である


バガヴァッドギーターの中でも、最も美しい詩の部分です。

水の味、土の香り。。


そして私の頭の中にはベートヴェンの第九、「よろこびの歌」が流れました。


教会の賛美歌がゴスペルに変わっていくような、よろこびの歌が溢れてきます。





7。。君の名前がラブソング



クリシュナはどんな小さな声で呼んでも、きっと気づいてくれるんです。


クリシュナの名前を呼ぶこと、それはとても個人的なことです。

クリシュナとの個人的な関係を培うために、名前を呼ぶことは必須なのです。

そして、この関係は永遠で決して滅びることはないし、他の誰にも邪魔されることはありません。


名前があるって、素晴らしい。だって、愛する人の名を呼べるから。

もし、名前がなかったら、どうやって特定したら良いのでしょう?

どうやって愛を伝えたら良いのでしょうか?


だから、君の名前がラブソングなのです。


ここで国語の授業。助詞の使い方について。

『が』と『は』の違いについて。


ここの題名は、「君の名前がラブソング」でなければいけないわけ。

「君の名前はラブソング」ではないんですよ。


助詞「は」「が」は、ニュアンスが異なります。 「は」が、誰もが既に知っている情報を伝えるのに対して、「が」は、誰も知らない新しい情報を伝えるニュアンスを持ちます。


というのと、さらにヤムナ的にはこの世界にはいろんな名前があるけれど、クリシュナの名前だけが唯一ラブソングなのだ。君の名前こそが、のがなのです。また通常では、名前がうたである訳はないが、クリシュナの名は、特別であり名前こそがクリシュナ自身なので、名前を呼ぶことで全てが与えられるのです。なんか、すごい。



8。。マハーマントラ


とにかくこれは、いろんな楽器で、大勢でマハーサンキルタンです。

踊りまくって欲しいです。はちゃめちゃに。

🪘打楽器ジャンベとかがいい!疾走して下さい。

数十年前、、よくインドのマヤプールで(チャイタンニャの生まれた地)ハリナマ(聖なる御名を大勢で外で唱えること)をやるといっつもこんな感じでした。



9。。おばあちゃんのブルース


代々木上原の駅のホームのベンチに座る年配の女性に話しかけたかったことから、この物語は始まります。それは私がある日、ハレハレヨガスタジオにナタリア心理学を受けに行っていた時のことでした。

薔薇の花束を橋のたもとで待つ老女の話は、キリスト教の説話から引用したものです。


この曲はスワガタンクリシュナと、クリシュナにどうかこちらにきて私のハートの柔らかい場所に座って下さい、と祈っています。

今までの自分の関心事の中心は、クリシュナ以外のこと、つまりどうしたら自分が幸せになれるか=愛されるか、でした。

私は愛されるために、愛していただけだった!誰かに仕合わせにしてもらおうとしてただけだった!と気づいた時は、自分でもとても驚きました。


そのあと、つまり47歳以降の人生は私にとって本当に生きる道となりました。

自分の人生をやっと生きることができ始めたからです。


依存という人生から、自律という人生にシフトしていくことに向き始めました。


ちょっと遅すぎたから、皆さんにはもっと早くそのことに気づいてほしいと思い、『おばあちゃんのブルースプロジェクト』を立ち上げました。(って何や!?)


まあ、人生に遅すぎるなんてこともないですけど。


アハイトキーという言葉があります。これは動機のない、という意味のサンスクリット語です。

このアハイトキーがこれからの私の人生の課題となります。


動機のない、下心のない、見返りのない、無償の、理由のない、とも言えますね。

何かのためとか、誰かのためではなく、ただ、愛するために愛するだけでいいのではないか。

そのことが出来た時に、私の人生は完成します。

クリシュナの愛もそうです。

クリシュナは私たちをただ、愛してくれています。いわれのない愛です。

だから私も、アハイトキーを返したいです。


そのことだけに費やしたいです。

そのことだけに生きていたいです。


最後に


ハレークリシュナマハーマントラを唱えるのは、なぜなのか?


たくさんの理由はあるでしょうが、

唱えれば唱えるほど唱えたくなる、という答えが、一番好きであります。


初ラップも入れてみました。あは!




10。。アチンチャ


チャイタンニャが提唱した哲学。


同時に同じで異なる。絶妙不可思議。


アチンチャ・ヴェーダ・アヴェーダ・タットヴァ


一元論と二元論を両方含む神の概念です。


星を読んでる人は、おなじみ大阪の占星術師のユガラ・キショーリさんですよ。


14歳の時に書いた詩、地上に咲いた矛盾という植物が光合成をして空に還っていくというフレーズを思い出して使いました。一つも無駄なものはないんだな、と思います。




シュリー・イーシャ・ウパニシャッドのマントラ5の引用です。

マントラ5

tad ejati tan najiati tad dure tad vantike

tad antar asya sarvasya tad u sarvasyasya bahyatah


タドゥ エージャティ タン ナイジャティ タドゥ ドゥーレー タドゥ ヴァンティケー

タドゥ アンタル アッシャ サルヴァッシャ タドゥ ウ サルヴァッシャーッシャ バーヒャタハ


至高主は歩くが、また歩きもしない。主は遥か遠くにいるが、またすぐ近くにもいる。

主は、すべての内にもいれば、すべての外にもいる。


バガヴァッドギーター第3章14節の引用でもあります。


BG3-14

生きとし生ける者は穀物によって生き

その穀物は雨あってこそ生じる

雨はヤジュナ(供養)によって降り

ヤジュナは義務の履行によって可能となる。



今私たちは、カリユガという時代にいます。

宇宙の時間的区分を、サッチャユガ、トレーターユガ、ドワパラーユガ、カリユガとします。


今はカリユガで争いと偽善の時代です。

時期が進むにつれ、過酷な時代になっています。

サッチャユガには、黄金の時代で素晴らしい時代でした。

サッチャユガの時代には、雨は夜しか降らないし、地球は喜んであらゆる生命体に食糧とたくさんの鉱物を与えていました。

それは、神に直接仕え、神を喜ばせる供養をちゃんと行っていたからでした。


今の時代に、さまざまな供養を施すことは、鉱物も少なくなり、供儀を出来る僧侶もいないのでほとんど不可能です。困ったことですね。。。



しかし、朗報があります。


今のカリユガにできる唯一の供養は、みんなで集まって神の名前を唱えることです。


みんなで集まってキルタンすることです。


それだけで良いのです。

これが私たちの義務です。


みんなで集まって、踊りながら父さんの名前を呼ぶのです!


ハレークリシュナ!!


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(収録曲)

1.チャンティング

2.SAKURA×KUSATSU

3.ダース・ダース・アヌダース

4.グリの献身奉仕

5.サバイプンサ(SB 1-2-6)

6.ブラザーサン シスタームーン

7.君の名前がラブソング

8.マハーマントラ

9.おばあちゃんのブルース

10.アチンチャ





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